西村吉一 リニューアルアドバイザー
「昭和の大修理」に携わり、完工後も今日まで姫路城とかかわり続ける元文部技官。三重県の工業高校で建築を学び、卒業後、文化財修理に携わる。25歳のとき、法隆寺(奈良県)の修理を依頼され「法隆寺は格から言ったら一番上、うれしかった」と話す。ところが、荷物をまとめて送る直前、上司に言われた。「ちょっと姫路で途中下車してくれるか」文部省などが進めていた姫路城の修理に行くように、との指示だった。その頃、城の修理は寺や神社の修理より一段下に見られていて「だまされたとしか思えず、城を恨んだ」という。その直後、文部技官に採用され、姫路城の修理に携わるうち、考えは徐々に変わってきた。法隆寺は大陸の技術で造られた建物だが、姫路城は日本の技術で造られたもの。「これはすごいものなんじゃないか・・・」
高校時代からの趣味だったカメラで城を撮るようになった。工事写真を撮る専門家が多忙なときには代役も務め、担当以外の現場にも入り込んだ。この経験が城への思いを変えた。
修理が終わった後、城の管理者を必要としていた姫路市の職員となり、城管理事務所に勤めた。朝昼晩、とにかく城内を歩いた。すると、「いつの頃からか、城の声が聞こえるようになった」。
写真を撮った経験が生き、「ここが痛い」「あそこが痛い」という声の原因がどこにあるか、イメージが自然と浮かんできた。「城と会話ができている」。
そう思った時、初めて城に愛情がわいたという。「今では、すっかり惚れてしまいましたわ」
定年後の現在も、伝統建築の技術を継承するため、市の若手職員を対象にした研究会「工墨の杜学舎」を主宰し、修理現場の視察や石垣の観察などをしている。建築は時代や環境によって変わるから、対応策にマニュアルなどない。必要なのは、現場を見て判断できる目を持った本物の技術者だ。と力を込める。「残す、守るは、壊すもと。必要なときに、変な見方をしないよう、経験を積むことが大事なんや」
雪の日、菱の門から真っすぐ伸びた道を眺めるのが一番好きな西村さんに、日笠のあるべき姿についてアドバイスを受けました。